ポーランド、クラクフとヴェリチカ岩塩坑、他 [Poland ポーランド]
ポーランドのクラクフの街とヴェリチカ岩塩坑を観光しました。
<クラクフ>
もともとクラクフは、単にアウシュビッツ見学の拠点として
来た街ですが、旧市街は世界遺産にも登録されており、
とてもいい街でした。
街並みはこんな感じです。
旧市街入り口付近の砦。
ヴェヴェル城。
きれいな教会。
そして、夜景~!!
聖マリア教会。夜景がすごく映える教会です。
並木道~。
夜の街路。
織物会館 と 聖マリア教会。
政府系建物。
そして近くの岩塩坑に行ってみました。
この岩塩坑はヴェリチカ岩塩坑って言って世界遺産に登録されています。
どうやら廃坑になっていない岩塩坑の中では世界最古で、世界最古の製塩企業で
あるらしいです。 全長は300 km 以上に及び、地下は100m以上深いとのこと!!
でっ、デカイっ! ふっ深い!!
洞窟の至る所に塩がこぶりついていました。
昔、岩塩坑が運用されていたときの道具のようです。
シャンデリアはとても美しかったです。
こんな地下深く(地下約100m)にとてもきれいなチャペルがありました!
びっくり
地下130mにレストランが
高度は低くても値段は高い
ポーランドのご飯。
相変わらず自炊が多かったなぁ(笑)
物価はすごく安かったんだけどねぇ。
-15度と寒すぎてスープばっかりでした~。
このころからソーセージの旨さに気付き始めました(笑)
宿の庖丁が使いづらくて、大き目のスライストマト(笑)
エミリアとラジャ。
ホステルでお友達になったカップル。
このカップルは来年3月に結婚するそうです。
彼女はポーランド人ポーランド在住。彼はパキスタン人スウェーデン在住。
どうやって知り合ったんだろ??ってことで聞いてみました
なんでも数ヶ月前にネットで知り合って、実際に会ったのはこのデートが初めてだとか...
それでも既に結婚を決めてるってすごいですねぇ~!!
とても仲良くしてもらったので、別れ際に餞別品を頂きました~!!
これは、僕達から2人へ
今回、こういった素敵な出会いが合った時に誰かにあげようと記念マッチを用意していたのです!!
<チェシンの町>
本当は、バスでクラクフからチェコのプラハまでダイレクトで帰る予定だったんだけど、
ちょっとしたことがきっかけで、チェシンの町に寄ることになりました!
そのきっかけは次回の記事で。
ポーランドとチェコの国境の町。チェシン。
ポーランド側はチェシンという名前で、チェコ側はチェスキーチェシンというらしいです。
元は同じ町だったのだとか...
チェシンの夜景。
このカップルはとてもよい好青年でした。
彼に道をたずねたら、「連れて行ってあげるよ!!」
って言ってくれて町を案内してくれて、最後にビールまで
くれちゃいました!!
若いのにすごくやさしくてビックリ!!
国境(奥がポーランド。手前がチェコ。)
チェコから鉄道に乗りました。
電車は2等なのにかなり快適でした。
ビールは頂いたビール。ご飯は得意のサンドウィッチ
Toshi
<クラクフ>
もともとクラクフは、単にアウシュビッツ見学の拠点として
来た街ですが、旧市街は世界遺産にも登録されており、
とてもいい街でした。
街並みはこんな感じです。
旧市街入り口付近の砦。
ヴェヴェル城。
きれいな教会。
そして、夜景~!!
聖マリア教会。夜景がすごく映える教会です。
並木道~。
夜の街路。
織物会館 と 聖マリア教会。
政府系建物。
そして近くの岩塩坑に行ってみました。
この岩塩坑はヴェリチカ岩塩坑って言って世界遺産に登録されています。
どうやら廃坑になっていない岩塩坑の中では世界最古で、世界最古の製塩企業で
あるらしいです。 全長は300 km 以上に及び、地下は100m以上深いとのこと!!
でっ、デカイっ! ふっ深い!!
洞窟の至る所に塩がこぶりついていました。
昔、岩塩坑が運用されていたときの道具のようです。
シャンデリアはとても美しかったです。
こんな地下深く(地下約100m)にとてもきれいなチャペルがありました!
びっくり
地下130mにレストランが
高度は低くても値段は高い
ポーランドのご飯。
相変わらず自炊が多かったなぁ(笑)
物価はすごく安かったんだけどねぇ。
-15度と寒すぎてスープばっかりでした~。
このころからソーセージの旨さに気付き始めました(笑)
宿の庖丁が使いづらくて、大き目のスライストマト(笑)
エミリアとラジャ。
ホステルでお友達になったカップル。
このカップルは来年3月に結婚するそうです。
彼女はポーランド人ポーランド在住。彼はパキスタン人スウェーデン在住。
どうやって知り合ったんだろ??ってことで聞いてみました
なんでも数ヶ月前にネットで知り合って、実際に会ったのはこのデートが初めてだとか...
それでも既に結婚を決めてるってすごいですねぇ~!!
とても仲良くしてもらったので、別れ際に餞別品を頂きました~!!
これは、僕達から2人へ
今回、こういった素敵な出会いが合った時に誰かにあげようと記念マッチを用意していたのです!!
<チェシンの町>
本当は、バスでクラクフからチェコのプラハまでダイレクトで帰る予定だったんだけど、
ちょっとしたことがきっかけで、チェシンの町に寄ることになりました!
そのきっかけは次回の記事で。
ポーランドとチェコの国境の町。チェシン。
ポーランド側はチェシンという名前で、チェコ側はチェスキーチェシンというらしいです。
元は同じ町だったのだとか...
チェシンの夜景。
このカップルはとてもよい好青年でした。
彼に道をたずねたら、「連れて行ってあげるよ!!」
って言ってくれて町を案内してくれて、最後にビールまで
くれちゃいました!!
若いのにすごくやさしくてビックリ!!
国境(奥がポーランド。手前がチェコ。)
チェコから鉄道に乗りました。
電車は2等なのにかなり快適でした。
ビールは頂いたビール。ご飯は得意のサンドウィッチ
Toshi
ポーランド、アウシュビッツ強制収容所 [Poland ポーランド]
アウシュビッツ強制収容所。
これを見にポーランドに来ました。
ご存知の方が多いと思いますが、戦時中、ナチスはユダヤ人に対し迫害、
大量虐殺を行いました。
その主たる現場がこの収容所です。
ナチスは、主にユダヤ人達をここへ収容し、強制労働を課し、虐殺を行ったのです。
現在では、ここは博物館になっています。
当時、人々が何をされたのか、どのように
殺されていったのかが生々しく展示しています。
ここが収容所の入り口。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と記されています。
「B」という文字が逆さになっていますが、
これは被収容者の反抗と言われています。
収容所のつくり、外観です。
電気が通った有刺鉄線で囲まれています。
撮影禁止の場所が多かったので、あとは文章でメインで記載します。
誰がどのように虐殺されたか。
被害者は、主にユダヤ人や政治犯など。他に障害者や同性愛者などもいます。
彼らは、新しい地で新しい生活が出来ると信じ込まされ、このアウシュビッツに
つれて来られました。
そして到着後、まず働けそうか否かの選別を受けます。
働けそうな被収容者は収容所の門をくぐり、強制労働を課せられます。
働けなそうな被収容者(特に女性や子供)は収容所の門をくぐらず、
そのまま毒ガスの部屋へ連れて行かれ、20分で死に至ったそうです。
中には(特に子供たち)ろくに審査もされずそのままガス室に直行だった人も
大勢いるそうです。
実際にチクロンBという毒ガスの缶が収容所内に展示されていました。
衝撃的だったのは、人間の髪の毛で作られた絨毯です。
収容所に送られた人たちは、まず髪の毛を刈られたそうです。
その毛で絨毯が作られていたそうです。
人々の大量の髪の毛と絨毯が収容所に展示されていました。
この博物館にはその他にも色々な展示があります。
実際の被収容者の顔写真、被収容者達の持ち物(カバンや眼鏡、クシなど)
の展示。
本当に生々しい物でした。
このアウシュビッツで虐殺された人々。
その数、推定120万人以上と言われています。
日本で言えば、ちょうどさいたま市の人口と同じくらいです。
ナチスはなぜ、これほどのユダヤ人を虐殺したのでしょうか。
強烈な反ユダヤ主義、また、ドイツが第一次世界大戦敗戦し、
経済が破綻したため、お金を作る必要があり、お金持ちのユダヤ人から
財産を没収するためなどと言われています。
ここに連れてこられる際、全財産を持ってくるように言われていたユダヤ人達は、
到着後、お金に換えられそうなものは全て(なんと金歯までも)没収されていたそうです。
もうこのような過ちは起こしてはならない。
このような願いを込め、このアウシュビッツ収容所は
ユネスコによって、負の世界遺産として1979年に認定されました。
世界が平和である事を願います。
Toshi
これを見にポーランドに来ました。
ご存知の方が多いと思いますが、戦時中、ナチスはユダヤ人に対し迫害、
大量虐殺を行いました。
その主たる現場がこの収容所です。
ナチスは、主にユダヤ人達をここへ収容し、強制労働を課し、虐殺を行ったのです。
現在では、ここは博物館になっています。
当時、人々が何をされたのか、どのように
殺されていったのかが生々しく展示しています。
ここが収容所の入り口。
ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)と記されています。
「B」という文字が逆さになっていますが、
これは被収容者の反抗と言われています。
収容所のつくり、外観です。
電気が通った有刺鉄線で囲まれています。
撮影禁止の場所が多かったので、あとは文章でメインで記載します。
誰がどのように虐殺されたか。
被害者は、主にユダヤ人や政治犯など。他に障害者や同性愛者などもいます。
彼らは、新しい地で新しい生活が出来ると信じ込まされ、このアウシュビッツに
つれて来られました。
そして到着後、まず働けそうか否かの選別を受けます。
働けそうな被収容者は収容所の門をくぐり、強制労働を課せられます。
働けなそうな被収容者(特に女性や子供)は収容所の門をくぐらず、
そのまま毒ガスの部屋へ連れて行かれ、20分で死に至ったそうです。
中には(特に子供たち)ろくに審査もされずそのままガス室に直行だった人も
大勢いるそうです。
実際にチクロンBという毒ガスの缶が収容所内に展示されていました。
衝撃的だったのは、人間の髪の毛で作られた絨毯です。
収容所に送られた人たちは、まず髪の毛を刈られたそうです。
その毛で絨毯が作られていたそうです。
人々の大量の髪の毛と絨毯が収容所に展示されていました。
この博物館にはその他にも色々な展示があります。
実際の被収容者の顔写真、被収容者達の持ち物(カバンや眼鏡、クシなど)
の展示。
本当に生々しい物でした。
このアウシュビッツで虐殺された人々。
その数、推定120万人以上と言われています。
日本で言えば、ちょうどさいたま市の人口と同じくらいです。
ナチスはなぜ、これほどのユダヤ人を虐殺したのでしょうか。
強烈な反ユダヤ主義、また、ドイツが第一次世界大戦敗戦し、
経済が破綻したため、お金を作る必要があり、お金持ちのユダヤ人から
財産を没収するためなどと言われています。
ここに連れてこられる際、全財産を持ってくるように言われていたユダヤ人達は、
到着後、お金に換えられそうなものは全て(なんと金歯までも)没収されていたそうです。
もうこのような過ちは起こしてはならない。
このような願いを込め、このアウシュビッツ収容所は
ユネスコによって、負の世界遺産として1979年に認定されました。
世界が平和である事を願います。
Toshi